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スナック・ママとバーテン見習いボクの同棲生活

オリジナル小説です。

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新しい小説がスタート

2013.07.31 (Wed)
今夜から新しい小説がスタートします。

ネットの普及と共に著書の電子書籍化を版元から打診されるが、頑なに拒む老作家。
無料コンテンツや見放題、十把一絡げにどれでも100円など、著作物が客寄せの道具に使われる昨今。
ついに老作家は版元との出版契約を絶った。

■ビオトープ


よろしくお願いします。
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第12章-06

2013.07.26 (Fri)
今年も残すところあと6日となった月曜日。
ボクはいつものように店の準備をしていた。

酒屋が空いたビールケースを引き取って、新しいビールケースを置いてゆくと、ボクはカウンターの中に屈み瓶を一本ずつ濡れ布巾で拭いて冷蔵ケースにつめてゆく。
布巾がたちまち真っ黒になる。

酒屋から運ばれてきた瓶ビールは使いまわしのケースについた汚れや輸送中の排気ガスで汚れているものなのだ。

20本の瓶ビールを冷蔵ケースに仕舞ったとこで店のドアが開き誰かが入ってくる気配を感じた。

開店時間にはまだ30分ほど早い。

また蕎麦屋の大旦那・木村さんが待ち切れずに飲みに来たのかと思いながらドアを見ると男が立っていた。

髪は短髪でカーキー色のジャンパーを着た初老の男である。
店の客ではないと思った。

客にしてはあまりにも表情が殺気立っている。

「!」

ミミちゃんと会った夜に通りの向こうから店内を見ていた男だ。

「貴様か!人の女房に手を出した野郎は」

ドスの効いた太い声で男が言いながらカウンターの前まで来ると、カウンター越しにボクの襟首を鷲摑みにした。

「………」

突然現れた男にボクは足が震えて動くことも声を出す事も出来なかった。

〈ミミちゃんの旦那さん?〉

「どうなんだよ。間男は貴様なのかって聞いてんだよ」

心臓が今にも張り裂けそうな程ドキドキして、呼吸が追いつかず金魚のように口をパクパクすることしか出来なかった。

「クソ!」

男の節くれだった拳がボクの左頬に炸裂した。
まるで鉄球でも顔面に食らったような激しい衝撃でボクはカウンターの奥に弾き飛ばされた。

背中を壁に打った痛みと左頬の痛みが同時に襲ってきた。

男が回り込んでカウンターの中に入ってこようと動いた。
ボクは恐怖のあまり客のキープボトルを取って男に投げつた。
男の左肩に当たって床に落ちたボトルが割れた。

「貴様ッ。やりやがったな」

男はジャンパーのチャックを開くと内ポケットから木の鞘が付いた小型の包丁を取り出し、鞘を抜いて足元に投げ捨てた。

立ちあがって逃げようとするボクに向かって男が小型の包丁を持って突進してくる肩越しに店のドアが開き誰かが入ってくるのが見えた。

「あんた。やめて!」

左目の周りと口元が内出血で浅黒くなった顔のミミちゃんが飛び込んできた。

脇腹に何かがめり込む感触がした。
次の瞬間、その周りがカッと熱くなり激しい痛みを感じた。

男の節くれだった拳に握られた刃物がボクの腹にめり込んでいた。

男の拳が出血したボクの血で真っ赤に染まっている。
1ミリでも動けば痛みが増すようで動く事が出来なかった。

放心状態の男も刃物の柄から拳が離れなくなったように動かなかった。
泣き叫ぶミミちゃんの声とパトカーのサイレンを聞きながらボクは意識を失った。

(完)


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第12章-05

2013.07.25 (Thu)
偶然にもナンバーズ4のボックスが的中し、200円で買った小さな紙切れが64,600円に膨らんだ。
その金を有馬記念に賭けることにした。

5万円を超えると高額当選になるので、金曜日のうちに銀行の窓口で払い戻しを受け取り、その足でネットバンクと提携している別の銀行のATMで小銭も含めた全額を入金済だ。

1着が①ブエナビスタあるいは⑨オルフェーヴルの3連単で500倍以上の72点から70点を900円ずつと配当の高い2点を800円ずつ買った。

ひとレースに6万円も賭けるのは初めてであった。

PATの投票画面に暗証番号と投票金額を入力して“投票”ボタンを押す時に少しばかり手が震えた。

レースは向こう正面からスタートし、3コーナーから4コーナーを回って正面スタンド前を各馬が通過して行く。

ハナを切ったのは⑫アーネストリーだ。
1馬身ほど開けて番手が②ヴィクトワールピサである。

3番手集団に内ラチ沿いを白い帽子の①ブエナビスタ。
⑨オルフェーヴルは後ろから2番目という展開だ。

1,000メートル通過が1分03秒とゆったりしたペースである。
2週目の3コーナー手前からペースが上がり⑨オルフェーヴルは大外を捲くって、4コーナーから直線コースに向くと5番手にまで順位を上げていた。

そこから先は上がり33.3の脚を使って先頭に立ち見事1着でゴールした。
①ブエナビスタは直線で伸び切れず7着に終わった。

①ブエナビスタと⑨オルフェーヴルのどちらかが1着でどちらが3着以下になる馬券を買うことにして正解であった。

 2011年12月25日(日)
 第56回有馬記念(GⅠ)
 一着 ⑨オルフェーヴル
 二着 ⑤エイシンフラッシュ
 三着 ⑦トゥザグローリー
 ⑨-⑤-⑦ 三連単 78,260円

704,340円の払い戻しになった。

PATの画面に表示された金額が信じられなくてボクな二度も1のケタから数え直した。

喉がカラカラに渇いていた。
ボクは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ブルトップを開けて一気に飲んだ。
アルコールが血管に染み込み気持ちが少し落ち着いた。

まとまった金が出来た事で、来年からの動きにメドが立った気持ちになった。
駒込のワンルームマンションを引き払い、群馬の寮へ越す時にスーツなどを処分してしまったので新しく仕事を探すにしても面接に着て行く服が無かったのだ。

それに昼間の仕事に就けば帰りが遅くなる事もあるだろう。
風呂なしのアパートで銭湯通いは何かと不便である。
引っ越しもしたいと考えていたが、敷金や礼金などの金を工面する為にはどうしてもまとまった金が必要だと感じていた。


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第12章-04

2013.07.24 (Wed)
やはり慌ただしさのピークは昨夜だったようで、祝日ということもあり店は地元の客が飲みに来た程度であった。

ミミちゃんは風邪を引いたので休みます。最後の日なのに行かれなくて申し訳ありません。とママの携帯に電話してきたそうだ。

昨夜ファミレスの帰りが寒かった事をボクは思い出していた。
もうミミちゃんと会うことはないだろう。

年末最後の重賞レースは有馬記念だ。
中山競馬場の芝2,500メートルで争われるレースだ。

ボクはいつものようにヤフースポーツの馬柱から数字を拾いエクセルに入力した。
近6走から2,000メートル、2,200メートル、2,400メートル、2,500メートルと3,200メートルの走破タイムを拾って入力する。

次にボクが独自に編み出した着順ポイント加算方式で1着から5着までの着順をポイントに換算してエクセルのセルに入力する。

更に“追い込み指数”も4コーナーからゴールまでの順位差をポイント計算して入力した。

最後に上がり3ハロンの近6走の平均値を入力して項目ごとにソートする。

1番早い走破タイムや高いポイントに“ピンク”。
2番目には“オレンジ”、それに続くもの複数に“イエロー”と色付けをする。

2,000メートルで1番早い走破タイムは⑩トーセンジョーダンの1分56.1。

2,200メートルで1番早い走破タイムは⑫アーネストリーの2分10.1。

2,400メートルでは⑧ローズキングダムの2分24.1。
そして2,500メートルでは⑥キングトップガンが2分32.5だが、着順や追い込み指数などを含めたエクセルのシートに“ピンク”と“オレンジ”が1番多く並んだのは①ブエナビスタと⑨オルフェーヴルであった。

オッズもこの2頭が圧倒的な人気を集めている。

この2頭が馬券に絡むことはほぼ間違いないと思われるが、両頭が絡む買い目はどれも配当が低いので、①ブエナビスタと⑨オルフェーヴルを頭で、どちらかが1着でどちらが3着以下になる馬券を買うことにした。

④ペルーサが出走取り消しになったので出走頭数は13頭だ。

このままフォーメーションで買えば①ブエナビスタか⑨オルフェーヴルを外して12頭のフォーメーションだから11×10で110通りだ。

①ブエナビスタが1着の3連単で110通り。
⑨オルフェーヴルが1着の3連単で110通り。
合わせて220通りになってしまう。

そこで、過去の上がり3ハロンが1番遅く斤量も近6走と比較して2.7キロ増の⑥キングトップガン。
それと2,400メートルのタイムは悪くないが4コーナーでの通過順位が悪い⑪ジャガーメイルを切って、1着が①ブエナビスタあるいは⑨オルフェーヴルの3連単で500倍以上の72点をボクは選んだ。

ここでいつもなら100円ずつ買うのであるが、この時はいつもより少しばかりボクは金を持っていた。

話は3週間前の日曜日にさかのぼる。
阪神競馬場で行われたジャパンカップダート。
毎年12月に行われるダート王者決定戦だ。

1番人気のトランセンドを1着軸に3連単を買ったが、2着3着も人気馬の決着で馬券は獲れなかった。

 2011年12月4日(日)
 第12回ジャパンカップダート(GⅠ)
 一着 ⑯トランセンド
 二着 ⑨ワンダーアキュート
 三着 ⑥エスポワールシチー
 ⑯-⑨-⑥ 三連単 6,180円

この時に決着した馬番の数字を宝くじのナンバーズ4で買ってみた。
これまでにもボクは日曜日のメインレースで決着した馬番をナンバーズで購入したり、Win5の数字をミニロトで買ったりしていたのである。

まず当たることはないと思ってはいるが、無闇やたらな数字を買うよりも、何かしら身近な数字を買った方がいいと思うのだ。

 ⑯⑨⑥の決着だから“1696”のボックスを買った。

 2011年12月5日(月)
 第3258回 ナンバーズ4
 抽せん数字 6196
 ストレート 15口 775,200円
 ボックス  469口 64,600円
 セット(ストレート) 80口 419,900円
 セット(ボックス) 1896口 32,300円

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第12章-03

2013.07.23 (Tue)
毎年思うことであるが、年の瀬は他の月と比べて日の経つのが早いような気がする。

別に大晦日でこの世が終わる訳でもないのに何だか忙しない。

その慌ただしさのピークは12月22日だ。

なぜならば翌日が天皇誕生日で祝日だからだ。
今年は金土日と連休になるのでなおさらである。

本来は金曜と土曜日の約束であるが、翌日が祝日なので愛ちゃんとミミちゃんにも出勤してもらった。

早い時間は暇であったが、9時を過ぎたころから客が入り店は混みだした。

高木社長が社員を6名連れて忘年会の二次会で流れて来たのは10時過ぎであった。
生憎ボックス席の1つが埋まっていたので、急遽、厨房から丸イスを出して即席の席を用意するほどの大入りとなった。

最後の客となった高木社長の一団が席を立ち、ママが支払いの対応をしている時。
カウンターの中で洗い物をしていたボクの目の前にミミちゃんが来て小声で囁くように言った。

「今夜……。話し出来る? ファミレスで待ってるから」

そう言うと彼女はボクの返事も聞かず、高木社長の一団を見送りにドアの方へ行ってしまった。

店を閉めてファミレスに着くと、窓側の席に座っていたミミちゃんがボクの姿を見つけ笑顔で手を振ってきた。

彼女はコーヒーを飲んでいた。

テーブルを挟んで向かいの席に座り、ボクもコーヒーを注文した。

このファミレスで彼女と待ち合わせるのは久しぶりだ。
最近ではコンビニでビールとつまみを買って彼女のアパートに直行することがお決まりのコースになっていたからだ。

「旦那が出てきたのよ。先週末に」

ファミレスを待ち合わせにした意味がこのときに理解できた。
出所した旦那さんが彼女のアパートに居るからだろう。

「え、そうなんだ……」

「昼間の仕事は今日で辞めたし、幸子ママの店もあたしは明日までだから。来週の月曜日にアパート引き払って新潟に行くから引越しの準備もあるし……。あんたにお別れを言おうと思ってさ」

今夜のミミちゃんは何だかサッパリした表情をしていた。
新天地で心機一転する心境なのだろう。

「そうだったんだ。元気でね。」

「浅草の花やしき楽しかった。今までありがとうね」

「ボクも楽しかったよ」

お礼を言われるほどの事をした積もりはないし、あの日は翌日に英理子さんともデートをしたのだからボクは女ったらしの悪い男なのかも知れない。

でも、ミミちゃんと行った花やしきは本当に楽しかったし、彼女の思い出になってくれることは嬉しいと素直に思った。そして、ボクの思い出でもある。 

「ねぇ、この前の話。あんた覚えてる?」

「うん……。でもボクは新潟には行かないよ」

「そう……。そうよね……。うん。わかった」

彼女は納得したように頷いて、カップに残ったコーヒーを飲み干した。

「じゃあ、あたし帰るね。疲れてるのに呼び出してごめんね。最後にあんたと話せてよかった」

「明日の夜も店で会うじゃん」

「だって、店じゃ幸子ママも居るし……。仕事中じゃなくて、話したかったのよ」

〈え、やっぱりボクとママの関係を見抜いていたのだろうか?〉

「遅くなると旦那がうるさいのよ。『何時に仕事は終わったんだ?』とか。こっちは一人で必死に働いて生活してきたってのに!」

口では愚痴りながらも、その表情はなんだか嬉しそうにも見えた。

ボクは席を立ち窓の外を見ると通りの向こうで男がこちらを見ていた。
短髪で濃い緑色のジャンパーを着ている。距離にして30メートルはあるだろか、夜なので男の表情まではわからないが、通りの向こうから店内を見ていた様子であった。

ミミちゃんは屈んで座席の横に置いたいつもの白いダウンコートを取り袖を通していた。
会計を済ませ店の外に出ると、通りの向こうに男の姿はなかった。

「寒いなぁ」

吐く息が白くなるほど今夜は冷え込んでいた。
ボクはジャケットの襟を立てて前を合わせた。

「じゃあ、また明日ね」

そう言うと手を振ってミミちゃんは帰って行った。
だが、祝日である翌日の金曜日にミミちゃんは店に出勤してこなった。


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第12章-02

2013.07.22 (Mon)
「外は寒~い」

白いダウンジャケットを着たミミちゃんが店のドアを開けて入ってきた。

その後ろから襟元にファの付いた焦げ茶のロングコートを着たママも出勤してきた。
店の前で偶然一緒になったのだろうか。

いつもよりママの出勤時間が早いことも少し気になった。

ミミちゃんはダウンジャケットを脱ぐと黒いハイネックのセーターに、白い真珠のネックレスをしていた。

早くも忘年会を行った会社もあるようで、10時過ぎから店が混みだし、最後のひと組が帰えり店を閉めたのが夜中の2時過ぎであった。

愛ちゃんは12時までなので既に上がっている。

ミミちゃんが身支度を済ませて帰るとママがカウンターで電卓を叩きながら言った。

「ミミが辞めるって……。今月一杯で。話があるって言うから、店に入る前に小島さんの喫茶店でミミと会っていたのよ。昼間の仕事も辞めて田舎に帰るそうよ」

〈うん。知ってる〉

思わず言ってしまいそうになったが、ボクは言葉をのど元で止めた。

「………」

「来年から入ってくれる子をまた探さなくちゃ。でもねぇ……。景気も悪いし、週末だけとはいえ人を雇うのも大変だから、しばらくは愛ちゃんだけでもいいかしら」

「愛ちゃんも馴れてきたし、大丈夫じゃないの」

「ねぇ、ショウちゃん。いざとなったらアタシたち二人で頑張りましょうね」

「……うん。そうだね」

内心はボクも昼間の仕事を探そうと考え始めていた。

3年もママの店に世話になり、ママと半同棲生活をしてきたのは居心地が良かったからである。

派遣先の寮を追い出され紙袋2つで東京に戻ってきた水商売は未経験のボクを拾ってくれたママには感謝している。

身体の関係から始まる付き合いばかりしてきたボクには愛とか恋というものがよくわからないが、ママの事を大切に想ってきたのは事実だ。

でも、居心地が良いママとの生活を続けることに将来の不安も感じずにはいられないのだ。

店で常連の客と会話して過ごす仕事は楽しいが、下町の小さなスナックから垣間見る世界ではなく、もっと広く社会と接点を持つ仕事に戻りたいと思い始めていた。

やはりちゃんと会社に就職して、何かカタチにするという“ヤル気”みたいなものが何年かぶりに蘇ってきたのだ。

ママに「店を辞める」と言ったら、ママは何て言うだろうか?

ボクが店を辞めてもボクとママの関係は続くのだろうか?

ボクはママとの関係を続けたいと思っているのか?

日常の風景のようになっていたボクとママの関係を改めて考えるのは億劫なことであった。


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第12章-01

2013.07.21 (Sun)
留美ちゃんが辞めてから店には蕎麦屋の大旦那・木村さんの紹介で、愛ちゃんという20歳の可愛い女の子が入ってきた。

彼女の家も蕎麦屋だ。昔から彼女の家とも交流があり、木村さんは愛ちゃんを小さい頃から知っているそうだ。

店の店主である父親が病気で倒れ、彼女は通っていた大学を辞めて昼間は赤坂にある会社で派遣OLとして働き家計を助けていると木村さんは言っていた。

初日にはボックス席の客に瓶ビールを注ぎ足している時に、チュウハイを飲んでいる客のグラスにまでビールを注ぎ足してしまうハプニングなどがあったが、水商売の経験がない初々しさは客からの受けも良い。

いつものように愛ちゃんは店が始まる10分前にやってきた。

一度家に帰ってシャワーを浴びてから店に来るのか、彼女が入ってくると長い黒髪から甘い香りがする。

「ショウさん、これあげます」

四方が15センチほどの薄く四角い紙袋に入ったものを手渡された。

「何これ?」

中を開けると外資系保険会社の社名が印刷された卓上カレンダーであった。

「昼間の会社で貰いました。よかったら使ってください」

気がつけばもう師走である。
ママの店で働き始めて丸3年が経過したことになる。

2008年9月のリーマンショックが起こるひと月前から、ボクは寮を完備した群馬県の大手自動車部品メーカーで派遣スタッフとして働いていた。

僅か3ヶ月で派遣切りにあい、11月一杯で寮も退去するように告げられ、紙袋2つで今のアパートに越してきた。

ハローワークへも行ったし、ネットカフェで求人サイトを見て求人を探したが仕事は見つからなかった。

途方に暮れて近所をブラブラと歩いている時に、通りかかったスナックのドアに『男子スタッフ募集』の貼紙をみつけた。
それがママの店であった。


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第11章 -04

2013.07.20 (Sat)
菊花賞は3歳馬のクラシックレースで京都競馬場の芝3,000メートルで争われる。

オルフェーヴルには中央競馬クラシック3冠達成のかかったレースだ。

3冠とは皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞を制することである。
この菊花賞で勝てば史上7頭目の3冠馬となる。

東スポの見出しにも「オルフェ死角なし3冠」と載っている。
だが、ボクはいつものようにヤフースポーツの出走表から近6走のデータをエクセルのワークシートに入力し距離別の走破タイムや着順ポイントに上がり3ハロンの平均タイムなどを色付けした。

「競馬に絶対はない」と言われるように、どんなに堅いと思われた単勝オッズが1.8倍で1番人気の馬でもゴール前で差されてハナ差の2着に敗れることだってある。

だから何か確証の持てるものを見つけて馬券を買いたいのだ。
いや、確証という言葉は適切ではないかも知れない。
自分が納得できる方法で検証してから馬券を買いたいのだ。

馬券が取れても取れなくても、立ち返るものを残しておきたいと思う。
それがエクセルのワークシートに数値を入力して軸馬を決めるボクがオリジナルで考案した予想方法だ。

出走する3歳馬は3,000メートルという距離を経験したことがない。
強いからといって果たしてスタミナが持つのか。
距離が長いので展開のアヤで有力馬が馬群に沈む可能性だってある。

1,800メートルで1番早い走破タイムは1番人気の⑭オルフェーヴルだ。
2,000メートルで1番早い走破タイムは⑥シゲルリジチョウとコンマ1秒差が⑨ダノンミル。
2,200メートルは⑤フェイトフルウォーで、2,400メートルは⑦ゴットマスタングだが、この馬は2,000メートルの走破タイムが18頭の中で1番遅い。

着順ポイントは⑭オルフェーヴルが断トツに高く91ポイントだ。
追い込み指数と合わせた総合ポイントでも15.2ポイントと2番目に高い⑰フレールジャックの13.0ポイントと比較しても圧倒的だ。

更にボクが重視する上がり3ハロンの平均値も⑭オルフェーヴルが33.8と1番速い。

「競馬に絶対はない」と思うが、単勝オッズが1.4倍で1番人気の⑭オルフェーヴルを1着固定の3連単フォーメンションで買うことにした。

切るのは総合ポイントの数字が低い8頭で、9×8で72通りだ。
1着オルフェーヴルからの馬券が圧倒的に人気のようで100倍以下のオッズが20点ちかく並んでいる。

いつものごとくネットバンクにコンビニのATMから入金して手数料を引かれた3,800円の軍資金である。
堅い決着になると判断して低いオッズに太く買う手もあるが、なにしろ使える金はたかだか3,800円だ。
オッズが400倍以上の38点の馬券をネットのPATで買った。

結果は⑭オルフェーヴルの圧勝であった。
4コーナー手前から一気にまくって直線では後続を6、7馬身も引き離す加速力でゴール前を駆け抜けた。
終わってみれば2着、3着も2番人気と3番人気の決着で堅い配当となり馬券は取れなかった。

2011年10月23日(日)
第72回菊花賞(GⅠ)
一着 ⑭オルフェーヴル
二着 ⑬ウインバリアシオン
三着 ①トーセンラー
⑭-⑬-① 三連単 2,190円

(最終章・第12章へつづく)

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第11章 -03

2013.07.19 (Fri)
留美ちゃんが辞めてしまったので、週末はママとボクとミミちゃんの3人であった。
ボックス席では近所の運送会社で働くトラック運転手の3人が作業着姿でビールを飲みながらミミちゃんと話している。

3人の中のひとり、30代と思われるリーゼントヘアーの男は留美ちゃん目当てで週末に度々来ていた男だ。

店に入って来た時もキョロキョロしていたし、店のドアが開くと視線を向けているから、留美ちゃんを探しているのだろう。

3人の中で1番年配の男がカラオケで千昌夫の『北国の春』を歌いだした。
ボクは歌が苦手なのでカラオケで歌ったりしない。
だが、お店で酔ったお客が歌うカラオケの選曲を見ていると、季節感とかは関係なく自分のオハコの歌を歌いたいようだ。

カウンターで常連の大塚さんがポツリとつぶやいた。

「北国の春かぁ。中東の方じゃアラブの春で大変みたいだなぁ」

カウンターの中にいたママが言った。

「何とかって大佐が捕まって殺されたのでしょ」

「40年以上も独裁政権でトップに君臨していたんだから国民の恨み辛みも凄いのだろうなぁ。でも、民主化を求めて独裁政権を倒しても豊かになる保証があるとは俺は思わないねぇ。だって、民主主義の象徴であるアメリカでもデモが起きてるのだから……」

ママがクイズに答えるように手を挙げて言った。

「アタシ観たわよ。テレビで、それ。何だけっけ?」

ボクと大塚さんが同時に言った。

「ウォール街を占拠せよ!」

「そうそう、それ」

海の向こうのアメリカでは先月から『自分たちは99パーセントだ』と言ってウォール街を占拠するデモが続いている。

大塚さんが話しを続けた。

「格差社会は今になって始まった事ではないだろうが、銀行マンの口車に乗せられて、本当はマイホームなんて身分不相応な人たちに家を買わせて破綻させたり、その住宅ローンを挽き肉の様に様々な債券とミックスして投資銀行にばらまいたサブプライムローンが暴落したリーマンショックで一気に景気が冷え込んで失業者が増えた結果だ。行き過ぎた資本主義の結果、ガタガタになった国家を救えない民主主義の終わりを見てるみたいだよ。まぁ、社会主義だろうが、民主主義だろうが、イデオロギーの問題であって、只の屁理屈みたいなもんだし。この世の中、何処へ行ったって極楽浄土の桃源郷みたいな場所はないんだよ」

その日の夜はミミちゃんのアパートにボクは泊まった。

昼間はそれほど寒くはなかったが、夜になると冷え込んできた。
2人で狭い湯船に入り冷えた身体を温め、布団の中で抱き合った。

ミミちゃんはイキそうになると、ボクにしがみつきキスをしてくる。
小鼻を膨らませ、呼吸が速くなり、舌を絡め吸い付いてくる。

喉の奥から魂を吸い取られそうな激しいキスだ。

その激しさにボクの気持ちも高まり陰嚢が引きつるような感覚と共に彼女の中に放出した。

枕元のティッシュを2枚取って彼女に渡すと、それを持って尻の下にあてがい、ボクが抜くときに布団を汚さないように局部を押さえた。

ミミちゃんはティッシュを挟んだままクルリと身体を回転させ腹ばいになり、タバコに火を点けた。
一口吸って、フ~と煙を吐き出しポツリと言った。

「あたし、仕事辞めて田舎に行こうかと思ってるのよ」

「田舎って何処なの?」

「あたしの田舎じゃなくて旦那の田舎よ。新潟なんだけどね」

「旦那さんと……寄りを戻すの?」

「……。旦那が年末に出てくるのよ。別荘から……」

「え、別荘!」

ミミちゃんの旦那さんは恐喝事件を起こし懲役2年の実刑を食らったそうである。
その前に起こした傷害事件で執行猶予中だった為に、都合3年の刑で服役しているそうだ。

「あの子も男運が無いって言うか、付き合う男にろくなのがいないのよね」

ママが言っていた言葉をボクは思い出していていた。

ママはミミちゃんから旦那さんが犯罪を犯し刑務所に入っていることを聞いていたから、あんなことを言ったのだろう。

ミミちゃんは短くなったタバコを灰皿でもみ消しながら言った。

「あの人の実家は商売やていて……今は閉めてるんだけど、そこで喫茶店でもやろうかと思ってるの。昼間はコーヒーとサンドイッチでも出して、夜はお酒もだしてスナックみたいな感じでさ」

どこまで現実味のある話なのかボクにはわからないが、話しているミミちゃんは楽しそうだ。
何か目標や希望を持つことは大切なのだと思った。

ボクもママのスナックでバーテン見習いとして働く日々から卒業して、将来の事を考える時期にきているのかも知れない。

ミミちゃんがボクの顔を覗き込んで言った。

「ねぇ、あんたも一緒に新潟に来ない? あたしの店を手伝ってよ」

「え!」

〈出所してきた旦那さんがいるのに、どうしてボクが新潟でミミちゃんの喫茶店を手伝わなきゃならいの?〉

「どーせ旦那は働かないんだから、あんたなら真面目だし。それにあの人そう先が長くないと思うのよね。68だし、腎臓患ってるから……」

〈旦那さんが亡くなれば、2人で暮らして行こうという意味なのだろうか?〉

「ちょっと待ってよ。新潟なんで行ったことない場所で生活するなんて無理だよ。それに旦那さんだっているんだし。喫茶店を始めてうまく行くかどうかもわからないじゃん」

「アハハハ。そうよね。でも絶対にあたし喫茶店やると思う。ねぇ、店が軌道に乗ったら呼んであげるから、考えておいてね」

そう言うと、彼女はボクに身体を絡めてキスをしながら萎んだ陰茎に手を伸ばしてきた。


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第11章 -02

2013.07.18 (Thu)
「アタシ美容室に予約いれているから行ってくるわね」

そう言うとママはサッサと出かけてしまった。
ひとり部屋にいてもつまらないので、ボクも出かけることにした。

8月のお盆休みに英理子さんと早稲田に行った時に、昔馴染みの店が無くなっていることを知り、思いのほか時か経過していることを実感した。

16年も経てば街も変わるのは当然のことだろう。
「キッチン・オトボケ」でカツカレーを食べながら、自分が足繁く通った店がもう一軒あることを思い出していた。

4年前まで四谷の小物雑貨メーカーで働いていた頃によく昼飯を食べに行った店だ。
四ッ谷駅前の外堀通りと新宿通りの交差点を渡り、灰吹屋薬局の角を曲がった“しんみち通り”を入ってすぐの場所にある「洋食エリーゼ」だ。

カウンターと小さなテーブル席が2つほどの店だが、いつも行列が出来ていた。
外で待っていると店員がメニューを渡してくれ入店前に注文を取るので、並んでいても店に入れば注文した料理の出てくるのが早く、客捌きの上手な店である。

但し3人とかで食べに行こうものなら、まず並んで座ることは難しい。
だからボクはいつもひとりで食べに行っていた記憶がある。

ハンバーグやメンチカツにカニクリームコロッケなどの定食やカレーライスにオムライスと一通りの洋食メニューが揃っている店だが、ボクはここのオリジナルメニューと思われるビーフトマト定食を好んでよく食べた。

脂身の多い牛バラ肉とタマネギとトマトを炒めた料理だ。
味付けは醤油ベースのようであっさりとしているが肉から出た旨味とトマトのほのかな酸味がコクのある西洋料理のように感じられる。
添えられた千切りのキャベツとマッシュポテトをソースに絡めて食べるのがボクは好きだった。

足立区に住んでいると山の手に出るのは億劫だ。
北千住から地下鉄で新御茶ノ水まで出て、徒歩でJRの御茶ノ水駅まで歩き、中央線で四ツ谷駅に着いた。

4年ぶりにビーフトマトを食べようとわざわざ電車を乗り継いでやってきたのだが……
残念ながら店が変わっていた。

居抜きで借りたのか、店内の内装が変わった様子はないが、メニューがまったく違うのだ。
メニューを探してもビーフトマトが見あたらいのだ。

店の人に聞くとエリーゼは先月で閉店し、新しくカツ専門店として新装オープンしたそうである。

またひとつ思い出の場所が無くなってしまったみたいだ……。

ボクはポークカツレツ定食を食べて店を出た。

新宿通りを渡って昔働いていた会社の方へ向かう途中に有名な「わかば」というたい焼き屋がある。

1尾140円のたい焼きを買って食べながら昔働いていた職場のビルまで来た。

4年ぶりに顔を出してみようかと考えていたのだが、ビルの前まで来ると、そこから先の足が重くなった。

何か問題を起こして辞めた訳ではなし、円満退社ではあるが、その後の自分を振り返ると昔の上司や同僚と顔を合わせることを躊躇った。
みんなに会えば今は何をしているのかと聞かれるに決まっている。

派遣で働いて、派遣切りにあい、今は下町のスナックでバーテン見習いとして働いていると正直に話す気にはなれない。
まして、その店のママの部屋に居候しているなんて……。

〈そこまで話すことは決してないだろうけれど〉

18から社会で働きはじめ、36の今まで何にもカタチになっていない自分が社会からの落ちこぼれのように感じた。

今までに勤めた会社が続かなかった訳ではない。早稲田の印刷ブローカーの会社では2年。
工場のアルバイトを辞めて就職した浅草橋にある雑貨卸問屋は6年。
「ウチの会社に来ないか」と誘われ転職した目の前のビルにあるこの会社でも勤続年数は5年だ。

どれも中途半端だと言われてしまえば、それまでかも知れないが……
その時々の事情やボクなりの考えがあって行動してきた積りなのだが……。


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第11章 -01

2013.07.17 (Wed)
朝10時過ぎに起きて、ママと軽い朝食を済ませるとボクは自分のアパートへ戻ることにした。
1週間に1度は郵便物を取りに行くのだ。
10階からエレベーターに乗り、1階のボタンを押した。
途中で止まることもなく1階に着いた。

途中の階で誰か乗り込んでくるといつも緊張してしまう。
軽く頭を下げて挨拶程度はするが、下まで着く間の密室での沈黙が苦手だ。
ママの部屋に居候している身分であるからかも知れない。

1階のエントランスでスーツ姿の年配の男性とすれ違った。
ボクは軽く頭を下げて足早にマンションを出た。

ママのマンションに出入りするようになって3年近く経つが、同じマンションの住人と言葉を交わしたことは殆どない。
偶然エレベーターで一緒になったり、エントランスですれ違ってもあまり目を合わさないようにしているので、ここの住人の顔すらまともに覚えていない。

それにしても午前中のこの時間にスーツ姿で帰ってくるとは、一度会社に出社したが忘れ物でも取りに帰って来たのだろうか?
それとも何かのセールマンだろうか?

アパートへ向かう途中、甘い花の香りが漂ってきた。
古い民家の庭に植えられた金木犀の木にオレンジ色の花が無数に咲いている。

〈もう秋だなぁ〉

20分ほど歩いて自分のアパートへ着くと、郵便ポストを開けた。
新聞は取っていなし、郵便物と言っても大して使わない電気やガスの請求書ぐらいで、あとはポスティングで投げ込まれた宅配のピザや寿司などのメニューチラシと、名刺サイズの紙に店の名前と電話番号が大きく印刷された出張風俗のチラシぐらいだ。

風呂なしの安アパートに呼ばれたら風俗嬢も困るだろうと思うのだが、ポスティングをする人間にとっては関係のないことなのだろう。

昼過ぎにママのマンションに戻る途中、月極め駐車場に停めてあるママのベンツがないことに気付いた。
ママがクルマで出かけたのかと思ったが、部屋に入るとママは居た。

駐車場にクルマがないことを聞こうと思ったら、ママが先に話しはじめた。

「留美がお店辞るって……。結婚するんだて。妊娠もしてるみたいよ。産婦人科に行ったら妊娠八週目だってさ」

蕎麦屋の大旦那・木村さんが話していた通り、常連の小糸さんの部下である岡田さんと付き合っていたようである。
ママの携帯に数分前に電話してきたそうだ。

「誰か週末に手伝ってくれる若い子を探さなくちゃ」

ママはサバサバした言い方でもう辞めてゆく留美ちゃんには興味がないようであった。

「それより、ママのベンツ駐車場になかったけど修理でも出したの?」

「さっき、ショウちゃんが出て行ってからすぐに取りに来たから……。返したのよ」

「返したって、誰に?」

ママのベンツは8月に亡くなったママが昔世話になったという千葉で造園業を営んでいた人の名義だったそうである。
相続の関係で故人の資産を整理することになり造園の会社の人が取りに来たそうだ。
出かける時に1階のエントランスですれ違ったスーツ姿の年配の男性がそうだったのだろう。


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第10章 -04

2013.07.16 (Tue)
最後の客が帰って、店の看板を消してボクはグラスを洗っていた。

ママはいつものようにカウンターで伝票の計算を始めた。

二人だけの店内に軽音楽のBGMが静かに流れている。

「マリがお店に来たことはミミには内緒だからね。いまは大人しく働いてくれてるから…。余計なこと言いたくないし」

「………」

「ワタシが26、マリが27の時に2人が働いていたクラブに入店してきたのがミミなのよ。ワタシは今でもあの子が犯人だとは思っていないけど、彼女が入ってから更衣室でお金が無くなる事件があったりしてね」

「店に変な客を連れて来たって話は?」

「ミミが前の店から引っ張ってきた客がいてね。パリッとしたスーツを着てロマンスグレーの髪を綺麗に撫で付けた紳士で、本人は会社経営者だと言ってたけど、実際は詐欺師だったのよ。店に警察が来てワタシたちも色々聞かれたわ」

「ミミちゃんのお客さんが詐欺師だったのであって、ミミちゃんも詐欺師の一味だった訳じゃないんでしょ」

「そうだとは思うわよ……。あの子も男運が無いって言うか、付き合う男にろくなのがいないのよね」

ボクとミミちゃんが付き合っていると言えるのかどうかわからないが、少しばかりドキリとした。

ボクも“ろくな男じゃない”部類に入るのだろうか。

その前にボクとママの関係も付き合っていると言えるのだろうか?

恵理子さんとの関係だって続いているし……。
やはり複数の女性と身体の関係を続けているボクは“ろくな男じゃない”のかも知れない。

その夜は自分のアパートへ帰ることにした。

仕事が終わって腹も減ったので駅前の牛丼チェーンに入った。

この店は牛丼だけでなく定食もあり、定食には味噌汁とサラダが付くのでありがたい。

店に入ると深夜だというのに店員の元気な声が聞こえてきた。

「いらっしゃいませ」

券売機で焼肉定食の食券を買ってカウンターに座る。
店内には他にひとりの客がカレーライスを食べていた。

待つことしばし、注文した焼肉定食が出てきた。
この時、水が無いことに気づきカウンターの向こうにいる若い店員に言った。

「お水ください」

するともうひとりのボクより先にいた客が言った。

「水!」

カレーを食べていた客にも水が出ていなかったみたいだ。
若い店員は慌ててボクともう1人の客に水を出した。

深夜の店舗に従業員は2人だ。
1人は厨房で調理を担当し、若い店員はカウンターの向こうでドレッシングやタレの補充作業をしている。
大学生のアルバイトだろうか。

焼肉定食を食べ始めると、次の客が入ってきた。
若い店員は元気な声であいさつをする。

「いらっしゃいませ」

調理を必要としない牛丼を注文したのだろうか、程なくして丼を若い店員は客の前に出した。
するとその客が言った。

「水!」

〈えー。君さっきも水出し忘れたじゃん。しかも2人に。店が混雑してる訳でもないのにど~して出し忘れるの?〉

思わず声に出して言ってやりたくなったが黙っていた。
そして、今夜店で客から聞いた話を思い出した。

「普通な奴なんだけど……。普通じゃ考えられないミスばかりするもんだから」

彼もゆうとり教育世代なのだろうとボクは思った。
(第11章へつづく)


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第10章 -03

2013.07.15 (Mon)
2010年の末から中東諸国では“アラブの春”と呼ばれる民主化を要求する大規模な反政府デモが起きていた。
エジプトでは1日2ドルで生活する国民がいるそうだから貧富の差はちょっとやそっとのものではないのだろう。

エジプトの大統領が辞任し30年に及ぶ独裁政権に終止符が打たれた。
だが、そんなに国民を貧しい状況に起きながら30年以上も独裁を続けることが出来るなんてある意味凄いと思う。

朝鮮半島では3代世襲が行われようとしている。
国家を同族経営している人たちが世界には存在するのだ。
彼らは“革命”や“独立”とか“開放”といった大義名分の中で生まれた独裁者たちだが、過程はどうであれ国家を同族経営できるってことに改めて気づいた人が世界で何人かいるんじゃないかとボクは思ったりする。

企業でもワンマン社長や経営陣を身内で固めた同族経営の会社はいくらでもある。
そんな会社の方がトップダウンで物事が決められるので経営判断が早かったりする場合もある。

もしも大塚さんが言うように無責任な議会制民主主義にうんざりする人たちが増えれば、カリスマ性の強い独裁者ばりの人間が現れ、国家の要職を自分の言うことを聞く人間で固めた政府を作っても歓迎する世の中にすら成りえると感じた。
それが良い事なのか、悪い事なのかボクにはわからないが……。


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第10章 -02

2013.07.14 (Sun)
ボクはママとマリさんとミミちゃんの関係が気になっていた。
ミミちゃんはママが日本橋でやっていた店で働いていたとは聞いていたが、銀座でも一緒に働いていたことは初耳だった。

マリさんが言っていた「トラブル女」とはどんな意味なのだろうか。

「バーテンさんハイボールお代わり二つ」

小糸さんがお代わりを注文した。
ボクは2つのグラスに氷を一杯に入れ、メジャーカップで測ったウィスキーを注ぎグラブソーダで割った。
柄の長いバー・スプーンでステアし、スライスしたレモンを乗せて小糸さんと連れの男性の前に出した。

ひと口飲んだ小糸さんが誰に言うともなく言った。

「今日は二人で反省会ですよ」

隣りでレモンサワーを飲んでいる大塚さんが聞いた。

「どうしたのですか?」

「中途採用で入ってもらった若い奴をクビにしたんですよ。クビと言っても試用期間だったので、私の判断で辞めてもらったのですけれどもね。自分たちの指導不足だったのかと思うと何ともやるせなくて……。彼と二人で反省会ですよ」

隣りの小糸さんと一緒の男性が続けた。

「自分、村沢って言います。課長と同じ部署で働いています」

小糸さんと村沢さんの話によれば、試用期間中に辞めてもらった社員は24歳の大卒で、最初に就職した会社を2年ほどで辞めて入ってきたいわゆる第二新卒だそうだ。

ある程度の社会経験があるので電話応対やファックスにコピー機の扱いなどは慣れていたので、有望だと思い熱心に仕事を教えたそうだ。

しかし、2ヶ月を過ぎたころから部署内で取引先とのトラブルが頻発した。

原因は彼であった。
取引先から受けた電話の内容を伝え忘れ納入が滞ってクレームに発展したり、来客の応対をして応接に客を通した後に、小糸さんらに来客を伝え忘れ客を一時間以上も応接に放置したり。
うっかりミスでは許されない事故が相次いだそうだ。

「遅刻はしないし、あいさつもきちんとするし、普通な奴なんだけど……。普通じゃ考えられないミスばかりするもんだから」

「課長が何度注意しても直らないんだから仕方ないですよ。あいつのお陰で余計な仕事ばかり増えちゃって大変だったんですから……」

2人の話を聞いていた大塚さんが言った。

「それて……。発達障害じゃないですかね」

「発達障害?」

「俺もよくは知らないけど、知的障害を伴わない障害で、学習障害とか注意欠陥・多動性障害とか色々と分類されるみたいですよ。まぁ、医者は何かしらの病名を付けたがるからね」

「そんな病気があるんですか」

「ここ最近、大人になってから症状が顕著になる例が増えているみたいですよ。俺が思うにはゆとり教育で競争心とかが削がれた学校教育で育ったのが原因なんじゃないかと思ったりするけどね」

「ゆとり教育かぁ。確かに私たちの時代は土曜日も学校があったけど、今の子供たちは大人と同じで土日休みの週休二日制ですからね。こっちは忙しければ土曜も仕事するのに」

大塚さんが空のグラスを揺すってレモンサワーのお代わりを注文しながら続けた。

「ゆとり教育とやらの一環で、今は学校じゃ業者テストが廃止されて、偏差値を取らないらしいですからね」

「そうなんだよなぁ。うちの息子は今年受験なんだけど、私らの頃と違って業者テストがないから偏差値もわからないし……。成績が悪いのは間違いないんだけどさぁ。だから塾にも通わせているし、模擬試験も受けさせてるよ」

「課長のお子さん受験生ですか?」

「うん。中学3年生だよ。塾の先生が言うには、私立中学は土曜も授業があるので、公立の中学と私立の中学じゃ3年間で授業時間が1,000時間も差があるんだってよ」

「1,000時間ですか!」

「そんなの最初からわかっていたら中学から私立にって、今から思ってもねぇ。小学6年から受験なんて考えてもみなかったし。子供3人も中学から私立に通わせる程の金もないから無理な話だけどさぁ」

大塚さんが言った。

「俺が思うに、今の世の中の格差はバブル経済の崩壊とかリーマンショックとかの景気低迷だけが原因じゃなく、ゆとり教育にも問題があるんじゃないかな」

ボクが高校受験だった中学3年生の頃は学校で毎月のように業者テストがあって、偏差値や成績が全国で何番目だとか数字が印字されたテスト結果を渡された記憶がある。

当時は数字で自分の将来が決められるようで不満な気持ちもあったが、社会に出てみれば数字からは逃げられないのが現実だ。

営業は売上という数字のノルマを背負わされて働かされるし、一人暮らしをすれば家賃に水道光熱費の支払いを計算して引き落とし金額を計算する。
気づけば競馬も数字で予想している自分がいる。

「これからの日本はどうなっちゃうのでしょうかね? 総理大臣はころころと替わるし」

沢村さんがため息まじりに言いうと、大塚さんがうなづきなら話し出した。

「本当だよな。毎年のように総理大臣が替わって、発言の揚げ足取りで国会を空転させる税金泥棒の議員たちが運営する名ばかりの無責任な議会制民主主義にうんざりだなぁ。政治家ってのはもっと志の高いもんだと思うんだけど、シノギになっちまってる奴らが多すぎるみたいだなぁ。民主主義ってのが本当にいいのか疑問にすら思うよ」



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第10章 -01

2013.07.13 (Sat)
先週から九月に入ったがまだ暑さが和らぐ気配はない。
その日、最初に店のドアを開けて入ってきたのは和服姿の年配の女性だった。

「ごめんください……」

「いらっしゃいませ」

「………」

見るからに高そうな銀色の糸で織られた着物を着たその女性は硬い表情で誰かを探すように店の中に視線を泳がせている。

厨房から店に出てきたママを見つけるとパットと表情が和らいだ。
と同時にママが和服の女性を見て言った。

「マリじゃない」

「幸子」

「お久しぶり。元気だった?」

「お蔭様でね。幸子も元気そうじゃない。ちょっと近くまで来たから、寄ってみたのよ」

「ショウ君。こちらマリさん。昔、一緒に銀座のお店で働いていたのよ」

「昔、昔の大昔よねぇ。もう30年以上も前だもの」

そう言ってママとマリさんは笑い出した。
マリさんは着物の裾を押さえてカンウンターのスツールへ座った。

「暑かったから喉が渇いちゃった。おビール頂こうかしら」

ボクは冷えたグラスに瓶ビールを注いで彼女の前に出した。

「バーテンさん……。もうひとつグラス、ママにも。あなたも飲みなさいよ」

「はい、かしこまりました」

ママはふざけてわざと丁寧に答えた。

ボクはカウンターを挟んでマリさんの前に立つママの前にもグラスを出した。
彼女は着物の袖を左手で押さえながら右手に持った瓶ビールをママのグラスに上手に注いだ。

「乾杯!」

マリさんは右手でグラスの淵を持ち、左手はグラスの底を押さえるように支え、両手で持ったグラスを口元へ運ぶ。
その仕草が上品だとボクは思った。

決して大きくはないが意志が強そうな瞳と、真っ赤な紅の塗られた薄く小さな唇。
目元の小じわとほうれい線が年齢を感じさせるが、間違いなく美人の部類に入る顔立ちだ。
和服姿のせいもあるが、映画『極道の妻たち』の岩下志麻のような女性だと思った。

店には他に客もいないので、二人は昔話に花を咲かせていた。

「新橋のお店? もう3年前に閉めたわよ。リーマンショックでもうやってられないと思ったから。震災の時にお店やめていて良かった。とつくづく思った……。ごめんなさい。まだ頑張っている人の前でこんなことを言って」

「じゃあ、旦那さんと悠々自適の隠居生活なのね」

「主人は去年の年末に亡くなったのよ」

「あら、やだ。年賀状出しちゃったじゃない」

「いいのよ。だって亡くなったのが12月の30日なんだから、喪中ハガキを出す方が迷惑だと思って出さなかったのよ。だから気にしないで」

ボクはカウンターの後ろにある客のキープボトルの埃を布巾で掃除しながら、二人の会話を聞いていた。

ママが週末に手伝ってもらっているヘルプスタッフの話になったとき。

「え、静江さんここで働いているの? 気をつけなさいよ。何か盗まれたり、店に変な客を連れて来られたりしてない? トラブル女なのはあなたもわかってるでしょ?」

〈静江さんってミミちゃんのことだよね?〉

ボクは2人の会話にミミちゃんの話題が出てきたことに驚き、拭いているボトルを落としそうになった。
ママがどう答えるのか気になっていると、店のドアが開いてスーツ姿の客が来店し2人の会話が中断してしまった。

「ママ。3人ね」

「いらっしゃいませ。どうぞボックス席へ」

客商売とは不思議なもので、ひと組の客が入ってくると立て続けに次から次と客が入ってくることがある。
あっと言う間にボックス席2つとカウンターも常連の客で3つが埋まった。

「じゃあ、私はそろそろ失礼するわ」

マリさんが席を立ってバックから財布を出そうとすると。
ママがマリさんの元へ走り寄り、その手を押さえた。

「今日はいいから……」

「じゃあお言葉に甘えてご馳走になるわ」

「ごめんなさいね。急にバタバタしてきちゃって、ゆっくりお話もできなくて……。今度ゆっくりお話しましょう」
 ママはマリさんをドアの外まで見送った。

「ありがとうございました」

ボクはマリさんの背中に向けてカウンターから声をかけた。
ドアの外にマリさんの姿が消えると、常連の大塚さんがボクに聞いてきた。

「いまの人誰?」

「ママが若いときに銀座のお店で一緒に働いていた方みたいですよ」

「妙に貫禄のある人だと思ったら、銀座で働いていた人か」

「ワタシは貫禄不足で悪かったわね」

店の中に戻ってきたママが大塚さんの後ろで笑いながら肘鉄を打った。

「そんな意味で言ったんじゃないよ。ママはママで素敵だよ」

大塚さんの隣りに座っている小糸さんと連れのお客様が笑った。


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第9章 -04

2013.07.12 (Fri)
英理子さんは地下鉄東西線の南砂町に住んでいるので、待ち合わせは12時に高田馬場の予定だったが、早稲田に変更してもらった。

高校を卒業して20歳までの2年間毎日通っていた早稲田の周辺を16年ぶりに見てみたいと思ったからだ。
出口がひとつしかない西船橋寄りの改札口に約束の5分遅れで現れた英理子さんはジーンズにピンクのTシャツ姿だった。

「ショウくん、お待たせ」

「ボクも今来たところだよ」

本当は1時間前に着いていた。

個室ビデオ店は12時間コースなので、午前11時までは居られたが狭い個室の閉塞感が嫌になって午前10時前に店を出た。

駅前のハンバーガーショップでモーニングセットを食べて、山手線で高田馬場に出て、地下鉄でひと駅のこの場所に来るまで30分もかからなかった。

西船橋寄りの出口を地上に出ると左側に当時は喫茶店があったのだが、無くなっていた。

「モンエテ」という名前の喫茶店は日本語が上手な東南アジア人のママさんが切り盛りしている店であった。
昼にはその店でピラフとアイスコーヒーのランチセットを食べたものだ。

早稲田通りから路地を入って、昔働いていた印刷ブローカーの会社があった場所に行ってみた。
当時のビルは無く、その一角はマンションになっていた。

〈十六年も経てば街も変わるもんだなぁ〉と思いながら待ち合わせ場所の改札へ戻ったのであった。

地下から地上に出る階段を上っている時に、英理子さんがボクに腕を絡めてきた。

「震災凄かったねぇ。わたしなんか一人でマンションの掃除していたから凄い揺れで怖かった。エレベーターは動かないし。八階よ。八階から階段で降りるの大変だったんだから。ショウくんのお店は大丈夫だったの? ボトルとかグラスとか割れたりしなかった」

「うん。カウンターに並べてあったグラスが落ちて割れただけ。お酒のボトルとかは無事だったよ」

震災から5ヶ月も経つが、その間に会わなかった人と久しぶりに会えば今でもこの話題になる。

「ショウくんの働いているお店はお酒とかいっぱい置いてると思ったから、後片付けが大変だったのじゃないかと思ってた」

彼女にはバーテン見習いとしてバーで働いていることになっている。

地上に出て早稲田通りを右、つまり高田馬場方面に向かって歩いた。
早稲田大学の学生が乗降するのは主にこちらだ。
交差点の周辺も西船橋寄りの出口と比べて店が多い。

早稲田通りを渡ったはす向かいに「祭」という小さな立ち食いそば屋があったのだが、こちらも建物自体が別の建物に立替られているようだ。

500円の大盛りコロッケそばや大盛り冷やしたぬきうどんを食べた記憶がある。
大盛りは洗面器みたいな馬鹿でかい丼ぶりに2玉分のそばが入っていた。
それにしても、なぜ店の名前が「祭」だったのだろうか?

「ショウくん。どこまで歩くの?」

早稲田中学高等学校の門を通り過ぎたところで、英理子さんがボクに絡めた腕を揺すって聞いてきた。

「もうすぐだから、ほら……その先の店」

若干ではあるが早稲田通りが右にゆるくカーブしているのと、手前のビルより一間ほど奥まって建っている為に、突如目の前に現れた印象を受ける白いビルの1階にその店は今も健在だった。

「キッチンオトボケ」

英理子さんが声に出して店の看板を読み上げクスリと笑った。
自分が笑った事がおかしくて声に出して笑い出した。

「アハハハハ」

彼女の八重歯が全開で見えた。

彼女は大笑いしているが、ボクはここに来るまで、この店が残っているか不安であった。
今朝の段階では真剣に「モンエテ」で食事をするか「キッチンオトボケ」で食事をするか迷っていたのである。

〈喫茶店の軽食じゃ腹持ちが悪いが、食後にのんびりと店内でおしゃべりをすることができる。キッチンオトボケなら間違いなく腹は満たされるはずだが、食べたらさっさと店を出なければならない。果たしてどちらを選ぶべきか?〉

そんなことを思案しながら西船橋寄りの出口を地上に出ると、選択肢のひとつが存在しないことを知った。
ここまできてもうひとつの選択肢である「キッチンオトボケ」までもが姿を消していたら……。と思うと不安だった。
いや、不安というより自分の思い出の場所が失われている事実を目の当たりにしたくないと思っていたのかも知れない。

店の前で突っ立ているボクたち2人の横を通り過ぎて次から次と客が入り口の券売機で食券を買って、店の中に入って行く。

バミューダパンツにポロシャツ姿の学生たちもいれば、寅壱の作業着にねじりはちまきの職人もドヤドヤとやって来る。

人が途切れたのを見計らってボクたちも券売機の前で食券を買った。
ボクは迷うことなくカツカレーにした。
彼女は少し迷っていたが、後ろに人の列が出来るとチキンカツのボタンを押した。

「イラッシャイマセ~。オミズワSelf serviceトナッテマ、スゥ」

昔は年配のおばちゃん数名で配膳をしていたと記憶しているが、今は東南アジアの女性たちが店の中を切り盛りしていた。カツカレーは六○○円、チキンカツ定食は五○○円だ。流石は学生街だ。

きっと初めて来た人は安さに驚いていると注文した料理が運ばれてきて、そのボリュームにまた驚くことになるだろう。

カツカレーはアルマイトの皿にたっぷり盛られたライスの上に揚げたてのカツを乗せ、白いライスが見えないほどにたっぷりとカレールーが掛けられている。
銀色の皿のふちからルーが今にもこぼれそうだ。

「ショウく~ん……。こんなに沢山食べられないかも」

英理子さんは運ばれてきたチキンカツを前に箸を付ける前から敗北宣言だ。
キャベツの千切りを敷いた上に子供の拳ぐらいのチキンカツが2個乗っている。
それとみそ汁に丼ぶりに盛られたライスだ。
この店で大盛りでも頼もうものなら丼ぶりに山盛りのライスが出てくる。

ボクはカレールーがたっぷりかかったカツを箸でとり口に入れた。
熱い。
揚げたてだから気をつけないと舌を火傷する。

カツを退かした下に白いライスが見えた。
スプーンでライスとルーをすくって食べた。
少し粉っぽいがシンプルなカレーの味がした。

取り立てて絶賛するほどの味ではないが、安さとボリュームがありがたい。
16年前にこの界隈で働いていた頃を思い出しながらカツカレーを胃袋に放り込んだ。

英理子さんは子供の拳大のチキンカツをひとつと丼ぶりのライスを半分食べて箸を置いた。

「もう無理。お腹一杯で食べられない」

「女性には多い量だよね。残して出よう」

ボクたちは店を出て早稲田通りを右に曲がり、早稲田キャンパスの方へ向かって歩いた。
しばらく行くと大隈講堂が見えてくる。

早稲田キャンパスを突っ切ってそのまま進むと新目白通りに出た。

「あ、路面電車だ」

英理子さんが左側を指差して言った。
新目白通りの中央分離帯部分を走る都電荒川線の早稲田駅だ。

「ショウくん、乗ろうよ」

「うん。そのつもりだよ」

ボクたちは都電荒川線に乗った。
早稲田駅は始発駅なのでボクたちは座れた。

「面影橋から天満橋♪ 天満橋から~♪」

電車が走り出すと英理子さんが歌い出した。

「何、その歌?」

「知らないの? 『面影橋』。だって次の駅は面影橋でしょ」

「そんな歌あるの?」

「吉田拓郎が歌ってたの。でも吉田拓郎が作った歌じゃないかも知れないけど……」

吉田拓郎なんて名前を聞いてボクはジェネレーションギャップを感じた。
彼女が青春時代に見てきたものをボクは知らない。

まだまだボクが知らない彼女の青春時代があるのかも知れないが、ベッドで抱き合えばそんな会話をする必要もないのだ。

大塚駅で下車したボクたちはラブホテルにチェックインして久しぶりに互いの身体を求め合った。
(第10章へつづく)


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第9章 -03

2013.07.11 (Thu)
実は2日前に英理子さんからメールが来ていた。

〈ショウくん。お盆休みはいつですか? 主人が息子と山形の実家に帰るので、会えませんか?〉

英理子さんとは4年前に派遣先で知り合った人妻だ。
当時は49歳だったが、今は53歳になっている。

群馬県の大手自動車部品メーカーで働いていた時期と、ボクがママの店で働き口を見つけるまでの半年ほどは会えなかったが、まだボクと英理子さんの関係は続いていた。

彼女も派遣の仕事が少なくなったので、今はハウスクリーニングの会社で昼間働き、夜はファミレスのホールで働いている。いわゆるダブルワークだ。

休みも不規則なようで、なかなか会う機会がないのだが、前回は震災の前日に鶯谷のラブホテルで彼女を抱いた。

ボクは一度自分のアパートに着替えを取りに戻った。

駅前に戻ると池袋行きの最終バスが停まっていた。
バスに乗り込み最後尾の座席に座った。
時間も遅いので昼間のように年寄りが乗り込んで来ることもない。

バスが走り出すと眠ってしまったようで、目覚めた時には池袋東口の駅前だった。

今夜はネットカフェで一夜を明かそうと思っていた。
シャワーにも入れるし冷房も効いているので快適に一夜を明かせると考えていたが、ナイトパックは7時間で追い出されてしまうので、12時間滞在できる個室ビデオにした。

ネットカフェの1,000円と比べるとこちらは3,000円と割高だが今から入っても午前11時まで居られるから都合がいい。

昨夜はミミちゃんを抱いたし、明日は英理子さんを抱くのだから、何も今夜AVを観てオナニーをする気はなかったが、店内に入ればこれでもかって位のAVが棚に並んでいる。

カゴの中に熟女もののAVを3本と映画のDVDを入れて、券売機で12時間コース3,000円のチケットを買って個室に入った。

まずはシャワールームで汗を流し、持参した下着とTシャツに着替えた。

結局、熟女ものAVでオナニーをして、映画のDVDを途中まで観たがつまらなくて眠ってしまった。



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第9章 -02

2013.07.10 (Wed)
芳ばしい香りが鼻をくすぐり目覚めた。

「コーヒー入ってるわよ」

「……うん」

ミミちゃんは下着姿で鏡台に向かって化粧をしていた。
ファンデーションをパタパタと顔に叩き、チークで頬のラインに赤みの色づけをする。
微かに化粧品特有の粉っぽい匂いがしてきた。
次にアイラインを引いて、薄いピンクの口紅を差した。

ボクは女が化粧をする姿を見るのが好きだ。
だからと言って電車の中で化粧をしている若い女どもには閉口する。
こうして自宅で出かける準備をする女の姿を眺めるのが好きなのだ。

ボクたちは軽い朝食を済ませ浅草に向かった。
東武伊勢崎線の浅草駅改札を出て階段を下りると松坂屋の入り口だ。
通りを渡ってアーケードの商店街を抜けると仲見世だ。

浅草寺に向かう直線の道を左右にびっしりと店が軒を連ねている。
扇子を専門に売る店もあれば、色とりどりの半纏を吊るして売っている店もある。
煎餅を焼く芳ばしい香りや、人形焼の甘い香りが漂っている。
まだ昼前だと言うのに凄い人でごった返していた。
お盆休みだから地方から東京見物に来ている人も多いのだろう。

ボクたちは人を掻き分けるように前に進んだ。
途中の十字路で雷おこしを売る前田商店の前で右側を見ると建設中の東京スカイツリーが見えた。

仲見世を抜けるとボクたちは浅草寺の境内には入らず左に曲がった。
まっすぐ進み五差路を右にしばらく進むと花やしきに着いた。

2,200円のフリーパスを2枚買って園内に入る。

「懐かしいわ。何年ぶりかしら」

「ボクは初めてかも知れない」

「え、あんた来たことないの?」

「うん……」

「じゃあ、たっぷり楽しみましょう」

ミミちゃんは子供のようにはしゃいで走り出した。

乗り物に乗って進む洋風お化け屋敷や、塔の天辺までゴンドラで登るアトラクションでは浅草の街が一望できた。
園内の隅を沿うように走るローラーコースターは小さいけど迫力があった。

どのアトラクションに乗るのにも20~30分は待つので、ひと通り乗り倒すと19時を過ぎていた。
だが、まだ日は高い。

フードコートでカレーライスを食べたきりなのでお腹も空いていた。

「そろそろ出て、外で何か食べようよ」

「じゃあ、もう1回だけローラーコースター乗ろう」

普段お店で接客をしていない時は静かで、気だるそうにタバコを吸っているミミちゃんだが、今日は別人のように笑顔ではしゃぎまわっている。

「さぁ、乗りに行こう」

ボクの手を取って引っ張るミミちゃんの指が細いことに今になって気づいた。

ボクはあまり女性と手を繋がない。
腕を組まれるのもあまり好きではない。

要は恥ずかしいのだ。

年の離れた女性と手を繋いだり、腕を組んで歩いている姿を人が見たらどう思うだろう。
と考えると恥ずかしいのだ。

じゃあ、同世代か自分より年下の女性となら手を繋いだり、腕を組んで歩けるかと考えると、そもそも同世代や年下の女性にまったく興味がないのでわからないのだ。

花やしきを出たボクたちはリーズナブルな定食屋で食事をした。
浅草にはすき焼きの今半が何店舗もあり、目の前を通り過ぎたが、入り口に貼り出された値段はとても手の出るものではなかった。

地元の駅に着くとすっかり夜になっていた。
一日外で過ごして汗もかいたし、疲れていた。

「今夜もうちに来る?」

「いや、自分の部屋に帰るよ」

「そう。じゃあゆっくり休んでね。今日は楽しかったわ。おやすみなさい」

そう言うとミミちゃんは手を振って自分のアパートの方角へ歩き出した。



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第9章 -01

2013.07.09 (Tue)
八月のお盆休みは14日の日曜日と15日の月曜日であった。
ママの息子さんが奥さんと子供を連れて遊びにやって来る事になっていた。

「いいじゃない。息子には一緒に住んでいる彼氏だって紹介するから」

「まずいよ。年の離れた男と母親が同棲しているなんて知ったら心配するに決まってるじゃん」

息子さんはボクより3つ下の33だ。
同い年の奥さんと5歳になる男の子の3人で埼玉県の蕨市に住んでいるそうだ。

ママは28の時に働いていた銀座のクラブで知り合った8つ上の男性と結婚した。
お相手の男性は上場企業に勤めるサラリーマンで羽振りもよく、ママは水商売から足を洗い専業主婦に専念したそうだ。
翌年に妊娠し30の時に息子さんを出産した。

郊外に買った一戸建てに引越し、幸せな結婚生活が一生続くと思っていたが……。

男性の羽振りよさは親の遺産によるものであった。
更に男性には浪費癖があり親の遺産を食い潰すと借金をするようになり、会社にまで借金取りが押しかける事態になるにはそう時間はかからなかった。

男性は会社をクビになり、昼間から酒を飲み、酔うとママに暴力を振るうようになった。
5年の結婚生活に終止符を打って、幼い息子さんと家を出たそうだ。

土曜日の夜に店が終わると、ボクはママのマンションへは戻らなかった。
3つしか年の違わないママの息子さんにどんな顔をして会えばいいのかわからないし、この2日間には予定が入っていた。

ボクは駅前にあるファミレスに向かった。
店に入ると先に上がったミミちゃんが笑顔で手を振っている。

2人で食事をしてボクたちはミミちゃんの部屋へ向かった。
ボクのアパートとは逆方向に駅から歩いて15分ほどの場所にミミちゃんが住んでいるアパートがある。
6畳の2間と3畳ほどのキッチンに風呂とトイレは別々だ。

2度目にミミちゃんと店が終わった後、飲みに行ったときに彼女が言った。

「今夜はどうする? あたしんち来る?」

ボクのアパートは風呂がないし、そう度々ラブホテルを利用するほどお金に余裕もない。
まして店が終わってからの深夜だとラブホテルも宿泊料金で高くつく。

誘ってくるのはいつもミミちゃんからだ。
土曜の夜に店が終わりの時間が近づくと、彼女がメールを送ってくる。

〈今夜どう?〉

ボクはママに気づかれないようにメールを返す。

〈いいですよ〉

〈じゃあ、いつものファミレス〉

〈了解〉

こんなやり取りで、最後の客が帰ると彼女は帰り支度を始める。

「幸子ママ。あたしも失礼します。お疲れ様でした」

と売上げの計算をカウンターで始めたママの背中に向かって言う。
手元の計算に忙しいママは顔も上げずに返事を返す。

「はい。お疲れ様でした。来週もよろしくね」

ミミちゃんは荷物を持って店のドアを出る前に、ボクに笑顔で手を振ってウィンクしてくる。この瞬間にママが計算している伝票の手元から顔を上げて後ろを振り向いたりでもしたら。と思うと冷や汗が出た。

「お盆休みはあんた何してるの?」

ミミちゃんの部屋で事が終わって、股間にティッシュを挟んだままタオルケットを掛けたミミちゃんが言った。

「お盆休み? 別に用事もないし部屋でゴロゴロしてるんじゃないかなぁ」

この時までボクは何も考えていなかった。
ママのマンションでのんびり過ごして、日曜日はJRAの馬券を買って、月曜日は南関4場の公営競馬でもやろうと思っていた。
だが、ママの息子さんとその家族が遊びに来ることになっているのを思い出した。

「暇だったらさぁ。どこか遊びに行かない?」

「どこかって……何処へ? ボク金無いから旅行とか無理だよ。それにこの時期はどこも高いし、一週間前から宿を取ろうなんて無理だよ」

「旅行だなんて言ってないでしょ!確かにあたしだって温泉旅行とかしてみたいけど……。もう何年も旅行なんてしてないわ」

「じゃあ、どこに行きたいの?」

「遊園地とかどうかしら」

そんな話の流れでボクたちは浅草の花やしきに行くことに決めていた。



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第8章 -04

2013.07.08 (Mon)
バスルームからジョボジョボと湯が注がれる音を聞きながら英理子さんを抱きしめた。
彼女のスリムで均整の取れた身体は抱きしめてみると、想像以上に弾力があった。

うつむいた彼女の顎をボクは指で持ち上げ顔を見つめた。

彼女は目を閉じていた。

ボクはキスをした。少しぎこちない反応だが彼女が舌を絡めてきた。

真っ赤なTシャツの裾から手を滑り込ませブラジャーの上から彼女の乳房を揉んだ。
それ程大きくはないが弾力がある。

ベッドに押し倒しTシャツを捲り上げた。

贅肉のない綺麗なウェストと白いブラジャーが見えた。

ボクはブラジャーをずらし小ぶりの乳首を吸った。

「あああああ~っ」

左右の乳首を交互に吸って、甘噛みして、舌で転がした。

「あ~ん。ダメよ……」

背中のホックを外し真っ赤なTシャツと白いブラジャーを脱がせた。
ボクも着ているTシャツとズボンを脱いだ。
パンツの中で勃起したイチモツがテントを張っている。

彼女のジーンズにあるボタンを外しジッパーを下げ脱がせた。
彼女は淡いピンクのパンティーを履いていた。

彼女を抱きしめボクはパンツ越しに勃起したイチモツを彼女の股間に押し付けた。

バスタブに湯が溜まり自動的に蛇口が閉じたようでジョボジョボと湯が注がれる音は止んでいた。

でも、ボクたちはもう我慢できなくなっていた。
キスをしながら互いの下着を脱がせ彼女の秘部へ猛々しくなったボクのイチモツを押し当てた。

上下に2、3度彼女のクレバスを這うようになぞると、彼女がボクの勃起したイチモツに手を伸ばし、それを支え中に導き入れた。

やや狭い入り口を亀頭が潜り抜けると、濡れた膣の中へ陰茎までがヌルリと入った。

中はとても温かく、ボクのイチモツにピタリと吸い付くように彼女の膣壁が密着した。

ボクはゆっくりとストロークを開始した。

「ア~ン。気持ちいい」

彼女の反応と連動するように膣が収縮を繰り返す。

ボクは夢中で腰を動かし、ストロークするスピードを速めた。

「ショウくん、気持ちいい……」

気持ちいいのは彼女だけではなかった。
ボクも彼女の収縮する膣にカリ首から陰茎までを締め付けられ眩暈がするほどの快感を覚えた。

陰嚢が引きつるような感覚で射精が近いと感じたボクは彼女の股間に打ちつけるようにストロークを速めた。

パン!パン! パン!パン!
と湿った肌と肌がぶつかり合う音が室内に響く。

「ハッ、ハッ、ハッ、ハ~ン」

彼女の呼吸が速くなり膣が収縮を繰り返す。

ボクも呼吸が荒くなった。

〈もう我慢できない〉

そう思った時に何も付けずに挿入していることに気づいた。
だがこの快楽を中断したくはなかった。

ボクは激しくストロークして、陰茎を精液が通過する直前に引き抜いて、外に射精しようとした。

奥まで深く入った次の瞬間に腰を引こうとすると、彼女がボクの腰に手を回し引き寄せた。

「そのまま。中でして……」

引き戻された瞬間にボクは彼女の中で射精した。

バスルームでまだ硬度を保ったままのボクのイチモツをボディーソープで洗いながら彼女が言った。

「8年前に卵巣の病気で手術したの……」

よく見ると彼女のヘソから10センチほど下のところに小さな傷跡があった。

当時のボクは駒込のワンルームマンションに住んでいた。
四谷にある小物雑貨の会社までは南北線で通うのが便利だったからだ。

だが、派遣の仕事で働くようになり正社員として働いていた頃と比べると収入も減り、家賃の65,000円を払い続けるのには無理があった。
そこで、ボクは寮のある派遣先を探そうと別の派遣会社にも登録をしていた。

しばらくすると群馬県にある大手自動車部品メーカーの派遣先が見つかった。

ボクはワンルームマンションを引き払い、寮のある群馬県の大手自動車部品メーカーで派遣スタッフとして働き始めたのが2008年の8月であった。

その翌月。アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破たんした。
(第9章へつづく)


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第8章 -03

2013.07.07 (Sun)
ようやくガード下の店から出てきた英理子さんと御徒町のお好み焼き屋に入った。

喉も渇いたので生ビールを2杯と、ボクはブタ玉モダン焼き、彼女はエビ玉モダン焼きを注文した。
テーブルに埋め込まれた鉄板の上で店員が焼いてくれるのはありがたい。

生ビールを飲みながらモダン焼きが焼き上がるのを待っていると彼女が先ほど小物雑貨の店で買った携帯ストラップを取り出した。

「2つ買ったの。ひとつショウくんにあげるね」

「悪いからいいよ。ストラップなら付いてるし」

「もうボロボロじゃない」

確かにボクの携帯ストラップはボロボロだった。
紐の部分に巻きつた糸が剥げて半透明のワイヤーが剥き出しになっている。

「いいから。携帯貸して。付け変えてあげるから」

彼女は器用にボロボロの携帯ストラップを外し、小さなクマのマスコットが付いた携帯ストラップに交換した。

「ほら、可愛いでしょう」

ニヤリと笑った彼女の口元からまた八重歯が見えた。

携帯SNSサイトに登録させられた時もそうであったが、彼女にはどこか強引なところがある。
でもなぜか憎めない性格だと思った。

モダン焼きが焼きあがり、それぞれを半分ずつ交換して食べた。
彼女はあまりお酒を飲まないようで、彼女はボクの残りが僅かになった生ビールのジョッキと半分以上残っている自分のジョッキを交換した。

〈間接キスになっちゃうじゃん……〉

年齢も離れているし、肉体関係もないのに気軽に生ビールのジョッキを交換する彼女の真意を考えると妙な気持ちになった。

約束通りお好み焼きは彼女がご馳走してくれた。
店を出ると夕暮れ時だった。
西の空が淡いオレンジに染まっていた。

「英理子さん。お腹も一杯になったから少し散歩しましょうか?」

ボクたちは松坂屋前の中央通りを渡って春日通りを湯島に向かって歩いた。

並んで歩いていると彼女が僕の腕に自分の腕を絡めてきた。

それほど道幅の広くない歩道で人とすれ違う時には、彼女の体がボクにピタリとくっつく。

お好み焼き屋で生ビールのジョッキを交換した時に、ボクの飲みかけだったジョッキのビールを何のためらいもなく飲んだ彼女を見て、ボクは彼女と男女関係になる事を意識した。

湯島の交差点手前で彼女の足が止まった。

「あ!ドン・キホーテがある。ねぇ、ちょっと入って見ていい?」

ボクの返事も待たずに彼女はサッサと店内に入って行ってしまった。
菓子類やハンカチやタオルなどの衣類。それとアメ横のガード下でも散々見た雑貨類などを見て周るのに付き合わされた。

〈湯島のラブホテルに行こうとしているボクを躱そうとしているのだろうか?〉

「ショウくん、見て見て」

彼女が男物のブリーフを手に取って言った。
それは象のイラストがプリントされ、鼻の部分が男性器を収めるデザインになっているものであった。

「ボクのは大きくないから、きっとブカブカだよ」

「プレゼントしてあげるから、仕事行くときに履いて」

「嫌だよ。こんなの履けないよ」

彼女はその象のブリーフを手にレジに歩き出していた。
会計を済ませ黄色い袋に入った象のブリーフをボクに渡し言った。

「はい、私からのプレゼント。履いた感想をメールでちゃんと報告してね」

いたずらっぽく笑った彼女の口元からまた八重歯が見えた。

ボクたちは湯島の交差点を渡りホテル街のある路地に入った。
彼女は何も言わず付いてくる。
裏通りにあるラブホテルにボクたちは入った。


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air_rank_ショウセツ

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第8章 -02

2013.07.06 (Sat)
ボクは草加の倉庫に派遣されることが多くなり、英理子さんと会うことは少なくなったが、そんな事がきっかけで、彼女とメールをするようになっていた。

派遣先の職場ではお互いにあまりプライベートな事は話さないものだが、メールだとそれは違ってくる。
特に男女間でのメールだと。

英理子さんは48歳の人妻で、4つ年上の旦那さんと大学生の息子さんの3人暮らし。
大手町の会社で長く事務の仕事をして働いていたそうだが、数年前に20年務めた会社を退職して、今は派遣で働いている。
息子さんが大学を卒業するまでは働く必要があると言っていた。
夫婦仲はあまりよろしくないようで十年近くセックスレスだということまで本人がメールで話してくれた。

ある日、派遣の仕事が休みの日曜日に映画に行かないかと彼女からメールで誘われた。
人から貰ったチケットが2枚あるのだと言うのである。

待ち合わせの上野マルイ前に現れた英理子さんはジーンズに真っ赤なTシャツ姿でやって来た。
派遣で働きに来ていた時と変わらない服装だ。
襟ぐりの大きく開いた首元から浮き出ている鎖骨が艶かしい。

一緒に観た映画はあまり面白くない邦画だった。
ボクは途中で居眠りをしてしまった。
映画が終わって劇場を出ると英理子さんが言った。

「ごめんね。面白くない映画に無理やり誘って」

「ボクこそごめんなさい。隣でグーグー寝ちゃって」

「平気。わたしも少し寝ちゃったから」

彼女が笑いながら言った。

「タダで貰ったチケットなのに、勿体ないと思っちゃうのよね。きっと根が貧乏性なのね。お腹空いたから何か食べに行きましょう。つまらない映画に誘っちゃったお詫びにわたしがご馳走するから。でも、あまり高いものは無理だけど……」

そう言って微笑んだ英理子さんの口元から八重歯がチラリと見えた。

ボクたちは人でごった返すアメ横を歩いた。
ガード下には様々な店が軒を連ねている。
鮮魚を売る店ではしゃがれた声で中トロの切り身を売る声が聞こえ、珍味などを並べている乾物屋でも「よりどりどれも3個で1,000円だよ」と威勢のいい売り子の声が鳴り響く。

メロンやパインなどのカットフルーツを売る屋台もあれば、焼き鳥の旨そうな匂いが鼻をくすぐる。
ガード下の中にも店舗は続き、カバンを専門に売る店や化粧品を専門に扱う店など小さな店舗がいくつもある。

「ちょっと寄ってもいい?」

彼女は一軒の小物を扱う店に入って行った。
携帯ストラップやキーホルダーなどのアクセサリーを手に取って彼女が言った。

「ショウくん、見て見て。これ可愛~い。あ、こっちのウサギさんのも可愛~い」

メールで会話をするうちにボクたちはお互いを「ショウくん」、「英理子さん」と呼び合うようになっていた。

彼女はウィンドウショッピングが好きようで30分もガード下の中に連なる店を見て回るのに付き合わされた。

「英理子さん、そろそろ何か食べに行きましょうよ」

「ちょっと待って。あと五分だけ。あ~、見て見てショウくん。この小物入れ素敵だと思わない?」

少し前まで小物雑貨を扱う仕事をしていたボクだが、会社を辞めてからは興味を失っていた。
いや、心の何処かで避けていたのかも知れない。

「こんな商品を企画したら売れるかも知れない」とかアイデアが湧いてきたりするが、それを一生懸命にやって何になるのか? という気持ちになる。
彼女のように純粋にウィンドウショッピングを楽しめるのが羨ましいと思った。

 物を作る人がいて、それを買う人がいる。

 売る側と買う側。

 もっと露骨な言い方をすれば……。

 買わせる側と買わされる側。

 雇う側と雇われる側。

 働かせる側と働かされる側。

そんな社会の構図の中でボクはどちらの立場になるのだろう。
いっそ起業でもしみようかと思ったりしてみたこともある。
だがボクには資金がない。いや、金の問題ではなく自分には器量がないと30を過ぎて感じはじめていた。


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第8章 -01

2013.07.05 (Fri)
5年勤めた小物雑貨の会社を辞めたのは32歳の時だった。
自分の企画が商品化され店頭で売られるという面白みのある仕事ではあったが、いくらそれが売れようとも自分の収入に返ってこないことに失望したからだ。

〈このまま働き続けても、ここに自分の自己実現する場所はない……〉

さりとて、これといって何かやりたい事がある訳でもない。
高校を卒業して社会に出た頃は、頑張って仕事をすれば結果が後からついてくると、ただ漠然と思っていた。

こんなことなら20歳の時にアルバイトで働いたい医療検査機器の組み立て工場で正社員になればよかったのか? と思ったりもしてみた。
当時は定年まで同じ組み立て作業を黙々とするなんてことは自分には耐えられないと思ったし、もっと自分の実力で何かを掴みとる自信があったのだが……。

蓄えも無いボクには時間が無かった。
しばらくは派遣労働でもして凌ごうと人材派遣会社に登録をした。

埼玉県にある草加の倉庫で出荷作業をした翌日には江東区東大島の倉庫で梱包作業をさせられ、その翌日には足立区の北綾瀬での軽作業といった感じで前日の夜に翌日の派遣先の指示が携帯で派遣会社の担当者から伝えられた。

しばらくすると派遣先は草加の倉庫と北綾瀬のDM発送代行業社での軽作業に絞られた。

草加の倉庫での出荷作業は大きなダンボールに入った商品をトラックに積み込む力仕事で、派遣される人間も男ばかりであったが、北綾瀬のDM発送代行業社での軽作業は半数が女性の派遣スタッフであった。

封筒に寝具のカタログや健康食品のチラシなどを封入する。
簡単で単純な作業だが一日に終わらせなければならない数が半端ではなく多かった。

朝8時45分から作業を始めて、社名の印刷された封筒にDMのチラシを封入してゆく。
11時45分から1時間のお昼休憩に入る。
大きな作業台に広げたDMのチラシを端に寄せて作業台をテーブル代わりにして全員が昼飯を食べる。
仕出し弁当を頼んでいる者は廊下に弁当屋が置いていった大きなケースに入った弁当を取りに行く。

女性は自宅で作った弁当やおにぎり、或いは調理パンなどを持参してくる者が多い。
金の無いボクはいつも朝、駅前のコンビニで買ったカップラーメンとおにぎりを持参していた。

「はい、お茶をどうぞ」

紙コップから湯気を上げた熱いお茶をボクの目の前に出してくれたのが英理子さんだった。

彼女はいつもお昼になると給湯室でお茶を煎れて、持参した紙コップに人数分のお茶を配って回った。
彼女も派遣で働きに来ているスタッフだ。年は30代後半か40代に見える。
いつもジーンズに襟ぐりの大きく開いたTシャツ姿で、首元から鎖骨が浮き出ているスリムで均整の取れた体型の若々しい健康的な女性だ。
笑顔の時に口元から八重歯がちらりと見えるのがチャームポイントだとボクは勝手に思った。

「おばさんだから、お昼を食べたらやっぱり熱いお茶を飲みたくなるのよね。どうせお茶を煎れるならみんなにもと思って。100円ショップで買った紙コップだけど、12~13人分なら大したことないじゃない」

そんなことを話しながら全員に紙コップのお茶を配って回る英理子さんは、持参した弁当を食べながらいつも携帯をいじっていた。

たまたまボクの隣に座った英理子さんがいじっている携帯を覗くと、小さな液晶画面の中で黄色いマスコットが踊っているのが見えた。

「何ですか? それ」

「可愛いでしょ。クリックして運動させると成長するのよ」

「………」

「あなたもやってみたら?」

「ボク、ゲームとか興味ないですから……」

「やってみれば面白いわよ。あたしが招待状を送ってあげるから、それで登録してみない?」

「でも、ゲームはやらないからなぁ」

「いいから。登録だけしてみなさいよ。登録すると紹介した人にポイントが付くのよ。そのポイントでこの子に着せる洋服とか買えるのよ。だからお願い。登録してみて」

半ば強引にボクは携帯のメールアドレスを聞かれ、英理子さんから送れてきた招待状でその携帯SNSサイトに登録させられた。


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第7章 -03

2013.07.04 (Thu)
店は8時を過ぎた頃から混みだした。
週末ではないので今夜はヘルプの留美ちゃんもミミちゃんも居ない。

ボックス席は作業着を着た3人組みの客とスーツ姿の4人組みの客で埋まった。
カウンターには近くの喫茶店のマスター小島さんと会社員の小糸さん。
ご近所の福田老人が相次いで来店しカウンターも半分が埋まっていた。

ボクは作業着を着た3人組みの客が注文した焼きそば3人分を厨房で作り、スーツ姿の4人組みが注文した鳥の唐揚げとフライドポテトを電子レンジで暖め皿に盛って出した。

店のドアが開いてまたひとり客が入ってきた。常連の大塚さんだ。

「いらっしゃいませ」

カウンターのスツールに座った大塚さんにママがタオルウォーマーから取り出したおしぼりの封を切って、広げた状態で大塚さんに差し出した。
銀縁のメガネを外しおしぼりで顔を拭くと大塚さんが言った。

「今日は暑かったなぁ。ウチの会社なんて節電だからってエアコンの温度が28度に設定されちゃって暑いったらありゃしないよ。おまけに天井の蛍光灯は半分抜かれてるし、廊下なんか明かり点けないから昼間でも薄暗いしさぁ。あ、俺レモンサワーね」

「私の会社も同じですよ。冷房弱めに点けて、あとは扇風機で我慢しろって会社から言われてます」

小糸さんが言った。
下町のスナックは常連客ばかりなので、カウンターでは客同士が自然と会話を交わす。

注文したレモンサワーをひと口飲み大塚さんが続けた。

「街も節電ムード一色だしね。帰りにパチンコでもして涼もうと思ったら早仕舞いだって言うし。コンビニも看板の明かり消してるし、ビルの上にある広告の看板も照明が消えてるから街が全体的に薄暗いもんな」

「え、コンビニも看板を消してるんですか?」

ボクは思わず大塚さんに聞いてしまった。
店に入る時間はまだ外が明るいので気づかないし、店に入ってしまえば閉店まで外に出ることはまずない。

「駅前なんかも薄暗くて、まるで田舎の駅前みたいだよ」

「そうですよねぇ。夜でも街のネオンや照明で明るいのが当たり前の中で生活していたことに気づかされますね」

「なんだか全体的に自粛ムードで景気がますます悪くなりそうだよな」

小糸さんの隣に座っていた喫茶店のマスター小島さんも会話に加わった。

「ウチの店なんか震災後、ランチを食べに来ていたお客さんが三割減りました」

震災から半年近く経過したが、被災地ではまだまだ復興の目途は立たず、社会全体に閉塞感みたいなものが漂っているように感じた。

「リーマンショックからなんとか立ち直ったと思ったら今回の震災だからなぁ。バブル崩壊からの失われた20年なんて言うけど、もう2度と日本の景気は良くならないんじゃないかと俺は思うよ」

リーマンショックという言葉を聞いて、3年前に働いていた派遣先で失業した時の事をボクは思い出した。
いわゆる、「派遣切り」というやつだ。
(第8章へつづく)


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第7章 -02

2013.07.03 (Wed)
店のドアを開けるとタバコのヤニと締め切った部屋特有のすえた臭いが充満していた。
室内の温度は30度を遥かに超えているのだろう。

ボクは壁にあるエアコンのスイッチをオンにして、室温を22度に設定した。
震災により原発が止まって電力不足が危ぶまれ、連日のようにテレビではピーク時の予想最大電力が何万キロワットだとか、節電を呼びかけるアナウンスが繰り返されていたが、客商売をやっているこちらとしてはそんなことに構ってはいられない。

室内の空気を入れ替える為に換気扇を回し、入り口のドアと裏の厨房にある勝手口のドアも開けた。

酒屋が空いたビールケースを引き取って、新しいビールケースとクラブソーダを置いていった。

ボクはフロアーに掃除機をかけ、ボックス席のテーブルとカウンターを布巾で水拭きし、次におしぼりをタオルウォーマーに補充した。

店内の空気も入れ替わったみたいなので、裏の厨房にある勝手口と店の入り口のドアを閉めた。
一服してから店の看板に灯りを点けようと思いタバコを吸っていると店のドアが開いた。
短く刈った白髪頭と紺色の作務衣姿は蕎麦屋の大旦那・木村さんだ。

「ちょっと早かったかなぁ」

「いらっしゃいませ」

ボクは吸いかけのタバコをもみ消して、手を洗い、タオルウォーマーから温まっているおしぼりを選んで木村さんに出した。

夏場は冷蔵庫で冷やしたおしぼりを出したらどうかとママに提案したことがあるが……。

「バカ言ってんじゃないわよ! おしぼりは温かいものに決まってるじゃない」と言われ、カレーライスの時と同様に即却下された。

木村さんはおしぼりを受け取ると、それを持ったまま手を叩きおしぼりの入った封を破った。
「パン!」と破裂音が静かな店内に響いた。

ボクはBGMをつけてない事に気づいたので有線放送のスイッチを入れ、カラオケのモニター画面にも電源を入れた。

「行儀悪くて済まないね」

笑いながらおしぼりを取り出し、開いたおしぼりで顔を拭いて、次に首筋の辺りまで垢を落とすように拭き始めた。

「あ~、さっぱりしたぁ」

「お疲れ様です」

ボクはコースターに乗せたグラスを木村さんの前に置き、栓を抜いた瓶ビールを注いだ。
グラスのビールを目の前に上げ軽くお辞儀をして、ひと口飲むと木村さんが話し出した。

「そ~いやぁ。ここで働いてた女。なんて言ったっけ?」

「ミミさんですか?」

「違うよ。あんなババアじゃねぇよ」

ミミちゃんがババアと呼ばれてボクは少しムッとした。
ミミちゃんはババアなんかではないとボクは思うからだ。

三週間前にボクはミミちゃんを抱いた。

婦人会の団体客があった時にボクがメールアドレスを教えてから、ミミちゃんと毎日メールをするようになっていた。
そして、翌週の土曜日に店が終わってから駅前の朝まで営業している居酒屋で一緒に酒を飲んだ。
「今夜は自分のアパートへ帰る」とママには嘘をついてだ。

ボクは仕事中店では一切酒を口にしないので素面であったが、ミミちゃんはボックス席の中年サラリーマン2人組みに飲まされてちょうどよい塩梅に酔っていた。

居酒屋ではレモンサワーを飲みながら焼き鳥に肉じゃが、フライドポトテにまぐろの刺身とおしんこなどをつまみながら二人で酒を飲んだ。

ミミちゃんは55歳で結婚しているが今は旦那さんと別々に暮らしていること。
平日の昼間は草加の運送会社で経理事務の仕事をしていること。
子供はいないこと。
ママが日本橋でお店をやっていた時に、そこで働いていたことなどを聞いた。

彼女は厚化粧をしている訳ではないのだが、大きな目とシャープな顎のラインが派手な印象を与える。
笑うと目じりにカラスの足跡の様な皺がパッと広がる。

2時間ほど飲んで外が明るくなりはじめたので居酒屋を出た。

二人ともなぜかあまり会話もせず、国道沿いを東に歩き出した。
ボクのアパートとは逆方向だし、ミミちゃんの部屋とも多分方向は違うはずだ。

10分ほど歩くとラブホテルの大きな看板が見えた。

ボクが国道沿いを東に歩き出した時に、ここへ向かっているのだろうと彼女も気づいたそうだ。
事が済んだベッドの上で彼女がそう言った。

そんなミミちゃんと過ごした夜の事を思い出しながら、木村さんに言った。

「ミミちゃんでなければ明日香さんのことですか?」

「そうそう。明日香ってんだっけ、あのパチンコ好きのオンナ」

「明日香さんはもうウチの店には来ていませんよ。彼女が失踪したみたいだ。と木村さんが教えてくれた週末から一切連絡も取れないし。だから新しくミミさんがウチの店に入ったんですよ」

「そうだったか。あのババア妙に慣れた感じだから、もう何年も前からここで働いてると思っちゃっていたよ」

またミミちゃんをババアと呼ぶ木村さんに憤慨しながら聞いた。

「で、失踪した明日香さんがどうしたのですか?」

「それがよーぉ。先週ひょっこり戻ってきたらしいんだよ」

「借金取りから逃げていたのですよね?」

「そうじゃなかったみたいだなぁ。俺も人から聞いた話だから詳しくは知らんが、パチンコ屋で知り合った若い男とイイ仲になってたみたいでよぉ。月のモノがこなくて泡食って逃げ出したらしいんだなぁ」

「え、デキちゃんたんですか? 明日香さんって旦那さんとお子さんもいるのですよね?」

「旦那はどこだったか一流企業のサラリーマンで、子供は高校生の娘と中学生の息子がいるはずだよ」

「浮気していた男の子供がデキちゃったから、家族を置いてその男のところへ行っていたのですか?」

「さぁーなぁ。どこへ行っていたのかは知らんが、孕んだかと思っていたら、月のモノが遅れていただけだったみたいでよぉ。アレが来たから戻ってきたらしいんだ」

明日香さんに付き合っている男がいたとは知らなかった。
留美ちゃんと違いお店でも客とベタベタする事はなく、大きな声でよく笑いおしゃべり好きのサバサバしたおばさん。といった印象だったので彼女に色恋があるなんて想像もしたことがなかった。

「この店でもうひとり若い姉ちゃんが働いているじゃん」

木村さんは町内の事情通であるが、年のせいか人の名前を忘れるクセがあるようだ。

「留美ちゃんですか?」

「そうそう、留美ちゃんが二、三日前だったかなぁ。俺の店に蕎麦食いに来たんだよ。男と一緒でなぁ。確かこの店で見たことある男なんだけど思い出せねぇんだよなぁ」

「杉本さんじゃないですか? 食品関係の会社で部長さんやっている……」

「あんなハゲ親父じゃないよ。もっと若い男だよ。確かハゲ親父と一緒に飲んでるのを見たことあるなぁ」

「じゃあ岡田さんじゃないですかねぇ。杉本さんの部下で何度がご一緒にお見えになっていますから」

「あ~、だからこの店で見かけた顔だったのか。俺の勘だが、留美ちゃんとその岡田って男はデキてるみたいだなぁ」

「デキてるって?」

「どう見ても恋人同士って感じだったぞ」

最初は杉本部長に連れられて初めてこの店に呑みに来た岡田さんであったが、最近はひとりで土曜に飲みに来ることが何度かあった。その時に留美ちゃんと親しくなったのであろう。

店のドアが開いてママが出勤してきた。
喪服を脱いだ後にシャワーを浴びて汗を流し化粧を直したママは白いノースリーブのワンピースで現れた。
腰に巻いた細い黒革のベルトがママのウェストの細さを強調している。

「あら、木村さん今日はお早いのね」

「こう毎日暑くちゃ日が暮れるまでやってらんねぇよ」

ボクは先ほど木村さんから聞いた明日香さんの話をママに話そうか迷っていると……。

「パチンコ好きのオンナ、何て言ったけ……」

「明日香さん」〈本当に名前を覚えない人だなぁ〉

「そうそう。明日香ってんだっけ、あのパチンコ好きのオンナが……」

木村さんは先ほどボクに話した話をまるで録音したテープレコーダーのようにママに話し始めた。

「あの人。アタシの処には一切連絡してこないのよ。まぁ、そんな事情だったのなら彼女も大変だったのだろうし、黙って来なくなったから連絡しづらいのかもね」

ママは辞めていった人間にはあまり興味がないようであった。

ママに明日香さんの事を話すと気が済んだみたいで木村さんは帰って行った。


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第7章 -01

2013.07.02 (Tue)
外はギラギラとした夏の日差しが照りつけているが、ボクは冷房の効いたママのマンションで一人パソコンの画面に見入っていた。
浦和競馬の9R、C1クラスのダート1500メートル。

1番人気の馬が4コーナーを曲がると他の馬とは圧倒的な脚の違いで大外から五頭をごぼう抜きしてゴール前を駆け抜けた。

2着は4コーナーまでハナを切って引っ張った3番人気の馬が粘り一、2着はボクの予想通りであったが、3着に7番人気の馬が入ってネット投票の残高がゼロになった。

僅か8頭立てのレースなんて買わなければよかったと思っても後の祭りだ。

競馬場に行かなくてもネットで馬券が買えて、公営競馬はレースまでパソコンの画面で見られるのだから便利な世の中だ。
便利さゆえに昼飯を食べに出て、1万円を崩した9,000円をコンビニのATMで入金し、いつものようにエクセルで予想をはじめて、7レースから馬券を買ったがさっぱり当たらない。

あと二鞍レースがあるが、外まで出てコンビニのATMに金を追加する気力もないし、店に出勤する時間が近づいていた。
パソコンを閉じてタバコに火を点けると玄関のチャイムが鳴り、喪服を着たママが帰ってきた。
ドアを開けると黒い着物を着たママが額に汗を浮かべて立っていた。

「ショウちゃん、お塩。お清めしないと」

ボクはあらかじめ玄関先に用意しておいた小皿に盛った塩をつまみママの胸と肩のあたりに振りかけた。
ママは着物に付いた塩を払うと玄関を上がり部屋に入った。

「暑かったぁ。やっぱり着物じゃなくて洋服にすればよかった」

「でも、洋装の喪服は冬物しかなかったんでしょ」

「そうなのよねぇ。やっぱり夏物も買わないとダメかしら?」

そんな事を言いながらママはスルスルと帯を解いて黒い着物を脱いだ。
着物の下に着ていた白い長襦袢姿のママを見てエロチックだとボクは思った。

ママが昔世話になったという人が亡くなったそうで、その人の告別式に行ってきたのだ。

その人は千葉で造園業を営んでいたそうで、ママ曰く「若いときに大変世話になった人」だそうだ。
先月ママがひとりクルマで出かけたのは、その人が入院している病院にお見舞いに行ったからであった。

「癌だったみたいで、凄く痩せちゃってね。可哀想だったわ……」

「ママのお店のお客さんだったの?」

「うん。若いときに働いていたクラブでね。気さくな人で、いつも面白い話を聞かせてくれて、人を笑わせるのが上手な人だったのよ」

20代の頃に働いていた銀座のクラブの常連さんだったそうだ。

「アタシが離婚して、また夜の仕事を始めようと思った時に相談したら……・・。『小さい子供もいるのに大変だろう』って……・・。日本橋にお店を作ってくれたのよ」

ママは一度結婚しているが、5年で離婚して自分の店を始めたと聞いていたが、スポンサーがいたことは知らなかった。

「ママとその人はイイ関係だったの?」

「フフフゥ。昔の話よ。あらショウちゃん気になるの?」

「別に。ただ聞いてみただけだよ」

「あら、焼き餅焼いてるの? ママ嬉しいわ」

「そんなんじゃないよ。店の準備あるから先に行くよ」

そう言ってボクは部屋を後にした。
正直少しばかり動揺していた。

ボクより25年も長く生きているのだから、これまでに何人もの男がママの身体を通り抜けていったことは、至極当然の事だと思う。
だが、何だか生々しい男と女の関係を聞かされたようで、妙な興奮と切なさを感じた。

マンションから外に出ると日差しはまだ強く、いっきに汗が吹き出してきた。


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第6章 -03

2013.07.01 (Mon)
ラーメンを食べ終えたボクは東急ハンズへ向かった。
なかなか来ないエレベーターを待って6階のステーショナリー売り場へ自然と足が向いていた。
この店はボクの担当ではなかったが店頭での陳列や他社の新商品をリサーチする目的で度々訪れたことがある。

当時働いていた会社の商品が今も店頭で売られ続けているのを確認してボクは懐かしい気持ちになると共に少し複雑な思いになった。

恭子さんと連絡が取れなくなった後。
もっと言えば、ボクの不注意で昔から世話になっていた印刷工場の社長に迷惑をかけた後もボクは四谷の若葉にある小物雑貨を企画・製造販売するメーカーで働き続けた。

携帯電話とパソコンの普及は凄まじいもので、携帯ストラップやマウスパッドなどの小物が飛ぶように売れている時代であった。
ちょっとしたデザインの工夫やパッケージの見せ方で売れ行きに雲泥の差を生むことも小売店での地回りをしているボクは何度も目の当たりにしてきた。

そこで知り合いのイラストレーターにユーモラスなキャラクターを書いてもらい、それを携帯ストラップやマウスパッドに刷り込む企画を会社に提出した。

その企画が通り製品化したところ爆発的に大ヒットし、製造が追いつかない程の勢いで売れる商品になった。

雑誌などからも取材が殺到し、売れ行きに拍車をかけた。

気がつけば累計販売個数が300万個を超え、卸売り価格でも億の単位の売上になる大ヒットになった。
社内でも上司や同僚からは一目置かれる存在になったが、ボクの給与が格段に上がることもなく賞与で色が付くとか社長から特別に寸志がある訳でもなかった。

考えてみれば創業20年を迎えよとする会社で創業時のスタッフが社長しかいない会社である。
ここまでの道のりの中で功労者は少なからずもいたはずだろうに誰も残っていない会社なのである。

僅か20名足らずの従業員で回していることからも、強かに会社を運営している経営者の姿を見た気がした。
きっと多くの功労者が屍として去っていたのだろう。

ここにも自分の自己実現する場所はないと感じた。
ボクが企画した大ヒット商品の売れ行きが収束するとともにボクもこの会社を辞めた。
(第7章へつづく)


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